絵描きにとってその作品をもって生業となればこの上のことはない。しかし現実はそう上手く行くはずもなく日々生活に四苦八苦は昔も今もさほど変わりはしない。とは言え昔のように親から勘当された話も聞かない。いやそれどころか親の方からわが息子、娘の才を過大視してやれ芸大だ美大だと援助を惜しまないがスポーツや音楽の世界と異なり幼少からの英才教育など美術にかぎりほとんど意味をなさない。
どだい絵で口糊を立てようというのが了見違いで所謂一般的な職業として成り立つものではない。
しからば何にゆえ絵描きを目指すのか? 端的に言えば絵を描くことが何よりも好きで自分の得意分野であると思うからであろう。しかし何の道であれプロとして何かを目指すなら絵も同じ、人生をそこに賭けることであろう。そこから独自の技法や表現が生まれ作品として結実、且つ作者は横溢する創作意欲と精神の充実を獲得することになる。つまり絵を描くことは生きると同義であり貧すれども心はゆたかでありたいもの。
従って単純に絵が上手い下手の次元ではない。この道を選んだ以上趣味、道楽とも異なるそれなりの覚悟を持って取り組むしかないのである。
ともすれば世間は、著名かどうか売れるか売れないかを基準に評価しがちだが、大衆受けする作品と芸術性の高さは必ずしも一致しないし別物である。
そうは言っても霞を食って生きてはいけない。金持ち資産家でもない限り、生活と制作のためには絵を売る以外の必要最小限の仕事で賄うしかない。古臭いと言われるかも知れないが、そのため心ならずも家族や自分の周りに迷惑を掛けることもあるだろう、だからこそ常に謙虚に作品と対峙し努力するしかないのである。
何の世界でもそれでおまんまを食っていくとなると並大抵のことではない。殊に芸術をもってということになると単に飯が食えると言うだけでは済まない。
創造の世界へ一歩踏み入れた瞬間から果てしない自己との闘いが始まるのである。そもそも有り体に言えば誰に頼まれた訳でもない全くの自発的行為であり、全ての発想に於いて自由であるべきもので、故に前述のように一つの覚悟がいるのである。おおかたがヴィーナスに魅入られ始めたこと天賦の才があろうが無かろうが、社会的認知を受けようが受けまいが極論すれば野垂れ死にしようと仕方ない。もともと己の才能など知れたもの、それも磨かざれば光はしない、天才は凡才の何倍もの努力の結果なのである。 |